にし人西陣のひと

石川 奈都子さん

今回は、西陣紋屋町の「三上家路地」にお住まいの写真家、石川奈都子さんにお話をうかがいました。石川さんは、3か月に1回(3月、6月、9月、12月の各8日)「環の市(かんのいち)」を開催されています。

「環の市」のチラシには、「顔の見える間柄でお互いの得意なものを持ち寄り暮らしていける社会があればいいなと思って始めました。」とあります。「環の市」に至る背景みたいなものはあるのでしょうか。

大学では美術を学んでいて、彫刻や版画などいろんなジャンルの人と仲良くなって、一人暮らしをする時も食器棚やテーブルをつくってもらったり、陶芸の人に器を作ってもらったりしていました。

今は写真家として国内外で色々な風景や建築、お庭や工芸などを撮影させて頂く機会に恵まれています。その中でもいつも、そのモノの向こうに関わるひとの存在に興味が湧きます。作家さんや職人さんのお話をお聞きした後には愛着が増してついその作品が欲しくなり、お会いした時間の記憶と共に自宅に連れて帰ることもしばしば。(笑)それが今の元気の源とも言えると思います。

そしてその延長に「環の市」があり、食べるものや着る服など日々の必需品も、身近な人のもので揃えられるようになりました。

どんなきっかけで環の市を始められたのですか。

環の市を始めたのは、今から6、7年前、子どもがまだ赤ちゃんの頃でした。日本中飛び回って仕事をしていた私にはそれまで、妊娠、出産、子育てっていうと閉塞的なイメージがあったんですけど、偶然にも周りに同じようなタイミングで出産する方がたくさんいて、取材で伺った素敵なお店の店主が妊婦さんだったり、生まれた子どもの歳が近いことで親の年齢を飛び越えて共通の話題ができたり、色々教えてもらえたり、また仕事とは違う関係が広がってとても嬉しかったし、子育てがすごく楽しみになりました。

とは言え子連れだとやっぱり今までのようにお気に入りの個人商店を色々巡ったり、オトナなお店には行きづらいし、お買い物も自由には楽しめないな、と思っていた頃、ちょうど素敵なマルシェがちらほら京都にも増えてきて、子連れも楽しめるしいいなって。私にはホームパーティの延長みたいな感覚で、大好きな友人とやってみてもいいねと自然な流れで始まりました。

同じ歳の子どものいるママ友数名のスタートメンバーはもともとコーヒー焙煎やマッサージ、雑貨の買い付けのプロやパン屋さんといったスペシャリストばかり。すでに出店もされていたり、ファンも付いておられる魅力的な方ばかりだったので、私はご縁に恵まれていたなと今でもありがたく思っています。

最初のメンバーでほぼ今の環の市の雰囲気とかすこやかであること、自然体の美しさみたいな価値観などはすでに作ってもらっていた気がします。

どんな思いで「環の市」をやっておられますか。

「地球にもこころにもからだにも優しい暮らし」はいつもハッシュタグに付けています。子どもとの時間や健やかな安心できる暮らしがあっての商いというか、全体のバランスを個々が無理の無いように楽しんでもらいたいということが最初にあります。

だから自分たちの生活の中で無理のない量を作って、それが売れて暮らしていけたらよいなあと。もちろん来てくださるお客さまには楽しんでいただきたい、でもだからこそ出店者さんにも楽しんでもらって新たなご縁が繋がったり、暮らしの知恵をシェアできる市になるといいなと。もちろん私もボランティアでがんばりすぎないようにしたり、私がいちばんのファン!と感じる方に出ていただいているので「主催者は?」って聞かれて、今はマッサージ受けていませんっていうのがあってもいい市にしたい(笑)。

三ヶ月に一度、空間を整えて掃除して清めて人を迎える。環の市って、今となっては循環のお祭り。感謝祭だと思っています。

西陣にはどのような経緯で来られたのですか。

出身は大阪の北摂で、実家は地区100年を越す大きな町家。古い町並みが残っているエリアで生まれ育ちました。町家特有の、引き戸で仕切る自由さや合理的では無い空間にこそ楽しみがあると実感していたので、マンションなど新しい建物は便利に作られているけど興味がありませんでした。小さい頃から古い町なら京都だから、大人になったら京都に住むかもしれないとなんとなく思っていました。

大学卒業はバブルがはじけた次の年で、デザインやものづくりの業界は全然求人のない時期でした。でも逆に燃えて(笑)ものすごくたくさんの会社に電話したり、たくさんの企業を巡ることができたのは良い経験でした。その中で私もいいなと思って雇ってもらえたのが京都の染色作家の工房で堀川下立売辺りだったんです。

本当は町家に住みたかったけど、不動産屋さんでは予算的に手が出ないものしか出回ってなかったので、最初はあきらめて右京区のアパートに住んでいました。その時に運よく西陣の物件を紹介してもらったので、二つ返事ですぐに引っ越したっていう感じですね。

西陣の印象はどうでしたか。

ここに住むまでは堀川下立売の工房から北に行く機会はなくて、電車も通ってないし、わざわざ行きたい所も知らなかったのでどういうところなのかなと。住み始めた頃(27年前)西陣織産業も元気が無くなってきていましたが、だからといって空き家は増えても知らない人には貸したくないという雰囲気がまだまだありました。その中で、妙蓮寺の佐野さんが面白い人に住んでもらって西陣を活性化しようと活動をされ始めた時期で、ちょうど私もこの長屋をご紹介いただいたんです。

引っ越しして大家さんが一緒にご挨拶回りに連れて行って下さったんですけど、当時はおじいちゃんおばあちゃんばかりでした。町内に馴染みたくて最初の年の区民運動会に出たら町内には私と高校生の男の子しか若者がいなくて、それでもその運動会で3位という劇的な好成績になり盛り上がりました。その位当時は若者が少なかったという印象です。

西陣の魅力をどう感じておられますか。

代々織物をつくられてきたエリアなので、町全体にものづくりの意識があって私にとってはとてもありがたいです。かつて西陣でアートイベントをやっていた時も、大掛かりなセットや舞踏系のパフォーマンスなど前衛的なものもありましたが、寛容な人たちに見守られながら何年も続けさせてもらいました。

大阪の下町にいると写真家っていうだけで、特別な感じで見られる気がしますが、この辺は西陣織の工房や同じ時期に入ってこられた陶芸家や絵描き、スペシャルな職人さんもいっぱいなので、マニアックさが目立たないというか、居心地が良かったなあと思います。音に対しても元々織機があったから寛容なのかなと。

住み始めた頃に比べると、西陣は想像を超えていい感じになってきていると思います。子どもの声もするし、素晴らしいお店も増えて、雑誌の特集記事を片手にそぞろ歩く人をよく見かけたり、活気が違う感じがします。おじいちゃん、おばあちゃんもいて、ファミリーもいる、アーティストもいる、そんな入り混じっている環境って興味深くて貴重だと思います。最近は、子どもがおじいちゃん世代の人にしかられる機会が減っていると思いますが、ここでは声かけてくれたり、しかったりしてくれる人がいます。いい意味で都会じゃない部分が魅力だと思います。

町家暮らしはいかがですか。

物件を見に来た時に、1階が真っ暗だったので写真の暗室に使えるなと思いました。大きなプリントもできるしお風呂で水洗もできるし。1階は暗室とキッチンにして、2階で生活という形で暮らし始めました。

大家さんには、壁を塗っても壊しても何してもいいって言われて、賃貸なのに衝撃的でした。次の人がそれを気に入って入居すればいいからと。ただ、景観を大切にされているので、外側のファサードは変えないでということでした。

20年近く住んで結婚するタイミングで、隣が空き家になり、しばらく次の人が入らなかったので、隣も貸してもらって、今は2軒をつなげて暮らしています。

私は古い家に慣れているのでそのままで暮らしてもいいかなと思っていましたが、建築家の夫(坂井隆夫さん)の設計で改築しました。以前は本当に手狭で暗くて寒い空間でしたが、改築で光が降り注ぐ空間になり、環の市も開催しやすくなって、暮らしも気持ちもここまで変わるのかとびっくりしました。古い町家も外観や趣を残しながら快適になりますし、見た目だけじゃなく水道管まで新しくしたので、この2軒はこの後もずっと住めると思います。

※坂井隆夫建築設計事務所 http://sakaitakao.com/

素敵な路地ですね。

初めて訪れた時はこの路地もまだ有名になる前で知る人ぞ知る、というかむしろ当たり前の路地の風景だったのかもしれません。でも大家さんはこの路地を私道として愛しておられ、ずっと手をかけてこられた。その時はそこまで深く考えていませんでしたが、石畳と格子戸の並ぶ風景には町家好きの私もノックアウト!(笑)すっかり路地で感動して、家を見せていただいたその場で入居を心に決めました。家はそんなに広くはなかったですが、前の路地は袋小路で人もほとんど通らなかったので、プライベート感が高くて、家の延長線上というか、そこまでが共有空間みたいな意識がありました。

今はお店もできて知らない方も路地に入ってこられますが、変わらず夏には子どものプールを出して遊んだり、若干使いすぎているくらい(笑)。

路地で向かいに住んだご縁ですっかり仲良くなったお向かいの陶芸家さんが路地で釉薬をミキサーでかき混ぜていたり、お互いの作品についてや近況など2階の窓同士で話すことも。ウソみたいですが本当にあります。

家で飼っているわんこも表の道路際までは走っていくけど、そこからは出ない。子どももそうですが、路地から出るのは違う世界と分かっているのかな、と。あそこまでが家と思っている感じなので、それが面白いですね。子どもができてから路地がありがたいなあと感じることが増えました。

今後どんなことをやっていきたいですか。

昔、長男が難病にかかって、その時に出会った自然療法には今も助けられています。今はコロナ禍もあり、みんな大変な時期なので、「環の市」の場も含めて、できるだけそういう経験をシェアして、体験してもらえる機会を作っていきたいと思います。

昨年「THE KYOTO」のサイトで、サスティナブルに暮らすという連載の撮影と企画を、以前同じ路地に住んでいたライターの山田涼子さんと一緒にやっていました。元々、「地球にもこころにもからだにも優しい暮らし」に興味があるので、そういう人や活動を必要な方へ繋ぐような、本当に自分がやっていきたいと心や魂が躍るようなお仕事(お役目)にこれからはますます注力していきたいと思っています。

※石川さんの免疫力や自然療法、暮らし方などに焦点を当てたウェブメディア公開準備中!

この夏オープン予定 kurashino.org
http://kurashino.org

先駆けて進行中のインスタグラムはこちら
https://www.instagram.com/hiraku_meguru2021/

最後に、これからの西陣に対する思いはありますか。

住み始めた頃に比べて、若い人も増えたし、素敵なお店、飲食店もたくさんできて、わざわざ西陣に来る人も増えましたね。どんどん充実してきていて、もう他へ行かなくてもここでほとんど事足りるくらいに楽しい街になりました。

また、西陣界隈で活動していると、デザインなどやりながらスペース運営されている方や、ギャラリーをやっている方など、面白い人が増えてきているのが新しい波でしょうか。ワクワクします。

しいて言えば、古い家が好きな人間としては、町家が残ってほしいと思います。路地奥の町家の生かし方や、大きな町家の相続負担など、個人としては対応しきれない部分もあるので、専門家や社会的なフォローをもっと充実して、イタリアみたいに美しい仕事が未来に続くような街になっていくといいなと思います。

詳細情報

企業名・団体名石川奈都子写真事務所
公式サイトhttp://ishikawanatsuko.jp/

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