和菓子店「金谷正廣」6代目 金谷 亘さん
西陣で豊臣秀吉公が「茶味に適す」と称賛された真盛豆を作り続ける和菓子店「金谷正廣」6代目金谷亘さんにお話を伺いました。
「西陣は、変わればよいと思う。」積極的に、柔軟に進化し続けたいー。
店舗について、代表銘菓「真盛豆」について教えてください。
江戸時代末期 安政3年(1856年)石川県加賀出身の「金谷庄七」が京都に出て菓子業を始めました。
真盛豆は、室町時代に聖僧真盛上人がご考案されたもので、炒った黒豆に大豆粉を幾重にも重ね、青のりで仕上げた菓子です。その製法は、聖僧真盛上人の仏弟子である、天台真盛宗・西方尼寺(北野上七軒)の開祖、盛久・盛春両尼に伝授され、代々この尼寺に伝えたとされています。
天正十五年の北野大茶会では、豊臣秀吉公が真盛豆を召されて「茶味に適す」と賞賛し、同行していた細川幽斎が「苔のむす豆」とたとえたと伝えられています。
江戸末期には、西方尼寺に出入りを許されていた初代金谷庄七が、真盛豆の製法を伝授され、その製法に工夫を凝らし改良を重ね、明治初年に銘菓として完成させました。
以来、茶人・通人の皆様にお使いいただいています。
その後、真盛豆をはじめ多種の和菓子の製造を手がけ、店舗名を「金谷正廣」と改名しました。以降、京都西陣の地で営業を続けて現在に至ります。
西陣の地でお店を構えられ、感じる変化はありますか?
私で6代目になります。戦前は、店舗があるこの通り(下長者町通)などが商店街となっていたそうですが、今は住宅地になっています。
交通の不便なところにありますが、ありがたいことに真盛豆や他のお菓子を求めて遠方からもご来店いただいています。その他にも、茶道、煎茶のお稽古やお茶席、喫茶などに使われる生菓子の販売や配達もさせていただいています。
また、この界隈にも多くありました呉服店や和装関連の企業様などからもご注文をいただいています。春には桜、秋にはもみじなど、季節や行事に合わせて少し小さめの和菓子の見本を用意し、注文を受けてお届けしています。
お正月前には、練り切り、きんとん、上用饅頭など、新春らしい和菓子を数種類用意して、呉服店などを訪問し、注文をいただいていました。私が記憶している30年くらい前は訪問先が100軒程ありましたが、今は20軒程になり、店頭でお求めいただくことが多くなっています。
今でも多くの方に和菓子を求めていただいており、「お正月にお雑煮を食べた後には和菓子」、「お正月のお客さまには和菓子を出す」といった、西陣のお正月がこの界隈には残っているのだと思います。
今は変えてしまったのですが、以前は、西陣を表す糸巻きのイラストを包装紙に使っていたほど、西陣に育てていただいたお店です 。
6代目として受け継がれ、どのように感じられますか?
私は、異例の和菓子職人だと思います。大学でアートプロデュースを学んだ後、一般企業に就職し、印刷やデザインに関わる仕事をしていました。そんなとき、お店を切り盛りしていた祖母が体調を崩して入院したため、お店を手伝うことになり、日中はお店、夜は在宅勤務でパソコンに向かう、そんな過酷な日々が続きました。今思うと、本当によくやったなぁと思います。
その後、祖母が他界したことを機に、本格的に家業に入りました。幸いにも職人がお店の味を守ってくれていたので、直々に技術を受け継ぐことができました。
通常、和菓子職人は製菓学校で学ぶことが多いと思いますが、私の場合は実践で経験を積みながら学び、自分に足りない部分を補っていきました。
京都や西陣の長い歴史は、変わりゆく時代の中で、みんなが様々な工夫をして頑張ってきたからあるのだと思います。失敗もきっとあったと思いますが、今も残っているものは、様々な工夫がうまくいったものであり、これまでのやり方を踏襲するだけでは伝統を守っていないことと同じになると思います。
「和菓子とはなんだろう。」という自問自答を繰り返し、時代の流れに柔軟に対応していきたいと考えています。
歴史ある銘菓を受け継ぐことに対してはいかがでしょうか。
真盛豆ができてから、長い年月が経過していますが、今と昔の大きな違いは、黒豆や大豆等の素材自体が格段においしくなっていることです。昔はもっと野性味があふれていたそうです。
砂糖を加えるのは、保存のため、保湿のためもありますが、黒豆と大豆の野性味に負けない甘さを出すことが一番の目的でした。
そういう意味では、素材の味が今と昔は違うので、同じ分量の砂糖を加えていては、同じものは生まれません。歴史ある銘菓を受け継ぐということは、伝統を守りながら、いつの時代でもおいしいと感じていただける菓子となるように作り続けることだと思います。
美術作品を和菓子で表現するなど新しい挑戦もされていらっしゃるのですね。
伝統的な菓子文化を守りながら、時代に寄り添う新しい和菓子を開発しています。
これまでに、京都市京セラ美術館でのコラボ企画「日本画和菓子」や世界のスパイスを使った「スパイス和菓子」などで和菓子の開発に取り組みました。
もともと美術やアート作品が好きで、和菓子に表現してみたいと思っていたところにご縁をいただき、実現することができました。開発した和菓子は、美術やアート作品が生まれた背景を理解し、エッセンスをすくい取れるようにイメージを深め、何度も試作を繰り返して製造しています。
スパイスを使った和菓子は、写真アート作品から着想を得たものです。その作品が好きで自主的に和菓子を作っていたのですが、SNSでの公開を通じて評価されることにつながりました。
私がやりたいと思ったことは、美術作品の価値を高め、作品が良いものであると伝えることであり、そのための試みが新たな和菓子の開発でした。
分かりやすく言えば、開発した和菓子は、あこがれのアーティストに宛てたファンレターのようなイメージです。「なぜこの作家はこのように表現したのかを理解したい」という思いから作っています。
また、異業種の職人さんにお声かけをして「和菓子のための菓子道具のキュレーション」も行うなど、代々伝わる京菓子を守りながら、新しいものづくりにも挑戦しています。
最後に西陣へメッセージをお願いします。
西陣は、変わればよいと思います。というのも、私たちの世代は、元気だったと言われる時代を知りません。
どんな伝統も産業も、続くことには必ず理由があります。時代や状況(シチュエーション)の変化に合わせて柔軟に対応してきたのが京都であり、西陣であると思います。
常に新しいものが登場し続けていることが、京都の魅力です。
新しいものが出てくるからこそ、古いものが淘汰され、良い物が残っていく…。
だからこそ私も、常に新鮮な気持ちでお菓子に向かうことができるのだと思います。
西陣のまちに誇りを持ちながら、積極的に柔軟に進化していきたいです。
(インタビュアー:Art Gallery be京都 岡元麻有)2021、12
詳細情報
企業名・団体名 | 金谷正廣 |
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公式サイト | http://shinseimame.com/ |