にし人西陣のひと

京料理萬重 田村 圭吾さん

京料理「萬重」は、京都西陣で美しい四季折々の京料理を提供されています。世界からも注目を集める日本の食文化を伝承し、地域の食育活動、京都の観光事業、文化交流使(文化庁)としても活躍される田村圭吾さんにお話を伺いました。

幅広くご活躍でいらっしゃいますが、経歴を教えてください。

創業昭和12年、京都西陣の萬重の長男として生まれ、幼少期よりの家業の手伝いを経て、各地で修業した後、家業に従事しています。

日本及び世界で日本食文化の継承や食育活動を推進する「日本料理アカデミー」に設立(2004年)と同時に参加。地域食育副委員長として、全国の小中高生、大学生に指導を続けています。

海外では、「和食の無形文化遺産登録記念」のフランス外務省晩さん会、ハワイで現地料理人などと開催した700人参加のチャリティーパーティー、ミラノ万博などで腕を振るって参りました。

また、「野菜ソムリエ京都」を立ち上げ、現在顧問を務めています。その他にも、令和元年に、文化庁からの「文化交流使」の使命を受け、世界6か国に派遣されました。更に同年には、京都観光おもてなし大使にも任命されました。

お料理の素材、器や調度品、お料理をいただく空間の細部までこだわりを感じます。
田村さんが京料理を提供される上で大切にされていることは何ですか?

祖父の代からのモットーは、「味のふるさとづくり」です。

萬重の料理は、素材をいかし、あまり奇をてらわないものが多いです。京料理は全国から素材が集まった集合体で、五感で味わう総合芸術です。だからこそ、自分たちの目で確かめたものを提供しています。

幼いころから市場へ連れられ、たくさんのことを教わりました。魚や野菜の目利き、買い物の仕方、旬の素材や料理の仕方などを自然に学んだように思います。

祖父は、戦後間もない頃は、最終の汽車に乗って明石まで行き、漁を終えて浜に帰ってきた船を探してはおいしい魚を手にいれていたと聞いています。それくらい自分の目で確かめることを大切にしていました。

錦、魚の棚、椹木町(さわらぎちょう)など京都には古くから6つの市場がありました。それらが約90年前に統合され、京料理の影の立役者として支えているのが京都市中央卸売市場第一市場だと思います。

食の安心・安全を守るためにも大切な場所で、こういった市場があるから「目利き」が受け継がれているのだと思います。

市内をはじめ全国の小中高生や大学生らに京都の食文化や歴史を伝える活動をされています。
活動の根幹は何でしょうか?また、子どもたちへのメッセージもお願いします。

食育の活動は19年間続けており、年間平均5校程でお話をさせていただいています。

学生時代にカナダへ留学した際に、「日本の文化や歴史を外国人に説明できない」という日本人を目の当たりにしたことが大きな理由です。

日本のように歴史や文化が残る国で、自国の民族衣装を着られなくなった、100年もたたないうちに・・・。食卓の風景は「お膳→ちゃぶ台→ダイニングテーブル」に変わっていった・・・。こんな国は他にはないのではないでしょうか。

伝統的な日本文化が、西洋文化に置き換わることによって衰退し、日本人はアイデンティティを捨て去りすぎました。それを合理化、グローバル化ととらえるか、いとも簡単に自分たちのアイデンティティをなくしてしまったととらえるか…。

そんな話を子どもたちにわかりやすく伝えています。
衣食住のうち、『衣』と『住』はほとんど西洋文化にとってかわられてしまったけれど、『食』はまだぎりぎり守られており、未来の子どもたちへ伝えることには大きな意味があると思い活動を続けています。

子どもたちへ伝えたいメッセージとしては、「百聞は一見に如かず」です。いろんなメディアがありますが、情報をうのみにせず、自分の国のいいところ、悪いところ、まちのこと、地域のこと、ぜひ自分で確かめてみてください。すると、なぜこの人たちはこう考えるのかということがわかってきます。そして自分がどうあるべきかが見えてきます。

この西陣の地で代々「京料理萬重」を受け継がれてこられましたが、田村さんにとって西陣とはどんなまちですか?
田村さんが感じられる西陣の課題や西陣への想いをお聞かせください。

西陣は、玄人のまちだと思います。
目の肥えた、本物を知る人が多くいます。一方で、伝統産業や技術などの価値を伝えきれず、社会で評価がされにくいものを続けている方もたくさんいます。

また、西陣は都会でありながら、地域のつながりの強さがある特有のエリアです。私はここが「最後の砦」だと感じていますが、最近ではその「最後の砦」さえ崩壊してきている懸念も肌で感じます。

地域の統廃合なども影響していると思いますが、先人たちが守ってきた伝統行事やつながりが弱くなってきているのではないでしょうか。

昔から「地域の子どもは地域で育てる」という地域愛が根強いはずなのに、薄れているように感じます。今まで自分がしてきてもらった恩返しの気持ちをもって、自分たちが守らなければならないと思っています。

これからの展望をお聞かせください。

「うるさいじいさんになること」です。
頑固なじいさんがまた言うてる、という風に言われたいです。

なんだか後ろ向きなお話もたくさんしてしまいましたが、社会の変化の波が早すぎて、どう残したらいいか、どう伝えたらいいか、答えが出ず、もどかしい思いもあります。

2013年、ユネスコ無形文化遺産に「和食」が登録されました。「美味しく食べる」に留まらず、伝統を継承し健康に良いという点も登録に影響があったそうです。はじめて食が文化として認められるようになりました。

また、料理屋には、建物、床の間のお花、絵画、器、庭など美しい文化が集積されています。それを手で触れて感じ、食材を食べて味わえる、全てがアミューズメントです。
こんな場所はないと思います。

ですが、和食料理屋もひとくくりでいうと外食産業です。ファストフード店やファミレスと同じなのです。

魚の鱗や内臓をとる、土のついた海老芋を洗う、出汁をとる…(私は朝から晩まで鯛をさばいていましたから、今では目をつぶってでもできるほどですが)、全てが機械的に合理化してしまうと、技術の継承はできなくなってしまいます。

今ある日本の姿は、日本人が合理化を図った結果、残ったものです。もしも、そこにのみ価値があるならば、私たちのような京料理の世界はつぶれるしかないのです。

世界でも評価されている日本の食文化。私は、技術、文化の継承者として誇りと責任を持っています。

無駄をなくし、合理化を求めることも必要かもしれませんが、文化の伝承には時間も手間もかかります。これからも京料理の地位向上を図っていけるよう、努力したいと思います。

そして、広い知見を持ち、地域コミュニティを見直し、みんなが潤うような地域にしていきたいです。

 

(インタビュアー:Art Gallery be京都 岡元麻有)2022、3

詳細情報

公式サイトhttps://www.kyoryori-manshige.co.jp/

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