にし人西陣のひと

京和傘 日吉屋様

京都で五代160年以上にわたり、京和傘を製造されている唯一の老舗、「日吉屋」のショップマネージャー中村由佳さん、4名の職人さんにお話を伺いました。

改めて会社紹介をお願いいたします。

江戸時代後期の創業以来、五代にわたり続いてきた「京和傘」の老舗です。
現在は、京和傘・和風洋傘、提灯、特注や修理など承っております。また、体験工房としてツアーなども受け付けております。

和傘の歴史を教えてください。

和傘は主に竹と和紙で作られる工芸品。その歴史は1000年以上あり、日本では奈良時代に仏教とともに伝来し、当初は雨具ではなく魔除けや高貴な身分を表す宗教道具であったようです。開閉することもできず、天蓋(てんがい)状の本体を竿からつり下げて使ったようです。その後、安土桃山時代に開閉できるようになり、江戸時代になると、骨づくり、組み立て、和紙貼り、塗装、油引きと分業が進み、元禄時代には町人文化が花開き、庶民も雨除け日除けに傘を使うようになりました。 しかし、和傘生産の最盛期は、昭和初期から第二次世界大戦後。高度経済成長、欧米化の波が押し寄せ和傘は一般ではほとんど使用されなくなりました。

明治初期には京都市内に200軒以上あった和傘工房も、すでに1軒。全国的に見ても10軒程度しかないそうですね。

確かに、和傘の需要がなくなり廃業寸前にまで追い込まれたと聞きました。日吉屋では、京和傘から生み出したデザイン照明を開発し、販売を始めました。今では売上の多くが、照明やインテリア商品にかわるまでに成長しました。

<本店にて、職人歴13年の竹澤さん、2か月の藤田さんにお話を伺いました。>

女性の職人さんが多いのですね?

はい。今は女性だけです。ちょうど職人が入れ替わった時でして、2か月の若手から10年以上の若手5名を中心に、本店、西陣の工房で作業をしております。東京オフィスとも、常にオンライン上で様子を見ることが出来、打ち合わせを行いながら進めております。

こちらではどういった仕事が行われているのですか?

ここでは、和傘の制作、修復を行っています。今は油を引いた傘を乾かしています。

なぜ職人になろうと思ったのですか?

竹澤さん:
学校の先輩が日吉屋で働いており、当時、京都伝統工芸大学校で竹細工を専攻していた私を誘ってくれたのがきっかけでした。そのまま和傘づくりの魅力にひかれ、今に至っています。

藤田さん:
大阪出身で、2年前に京都に来ました。一般大学を卒業後、企業に就職し、会社員を経て今に至ります。モノ作りに興味があり、作り手として伝統産業に関わりたかったという思いがあります。また、祖父母が傘屋を営んでいたことも大きいです。今は他界しましたが、伝えたいと思います。

和傘づくりは分業制なのですか?

はい。竹骨職人、和紙職人、和傘職人の分業となります。私たちは和傘職人として、ひとりが責任をもってひとつの傘を手掛けることがほとんどです。
この工房は1階が店舗、2階が工房になっていますが、工房も大きな和紙の保管、それをカットできるようなスペースづくりなど工夫がされています。

和傘特有の道具もありますか?

和傘は、和紙、竹、木の素材で作られています。道具も代々使われているものを大切に使っています。
和傘本体の和紙を張る「胴張り(どうばり)」と呼ばれる作業では、和傘の種類・サイズに合わせて、和紙を裁断し、張ります。「又箆(またべら)」という和傘作り専用の道具を使用し、竹骨に沿って張り合わせていきます。

今まででご苦労されたお仕事はありますか?

竹澤さん:
常に苦労の連続です(笑)
神事や祭事に使用される傘の修復も多く、大きさも様々です。二度と手に入らない貴重な品の修復ですから、とても緊張します。最近ではいざ開いてみたらろくろ(傘の頭の部分)が外れてしまった、ということもありました。
修理はそれぞれの状態に応じて異なる技法を使います。全面張り替えなければならないか、部分的でよいのかなど日々判断をしながら進めていきます。

伝統と革新の現場にいらっしゃるわけですが、今後の展望をお聞かせください。

竹澤さん(右):
私はどちらかというと先輩の職人がしている作業を目で見て覚えてきました。あまり口で教えられた経験がありません。
今は、新しい職人が入ったばかり、ということもあり、自分が指導するプレッシャーと、口で伝えることの難しさを実感しています。実践で慣れていってもらいたい、という思いが強いです。
伝統の技を丁寧に受け継ぎ、基礎を大事にしながら、新しいものを生み出していきたいと思います。

藤田さん(左):
今は入社して間もなく、慣れることに必死ですが、とても働きやすい環境です。みなさん優しく教えてくださいます。伝統的な部分はもちろん、日吉屋では傘の開閉を利用したデザイン照明も作っておりますが、常に新しいジャンルに挑戦しているということを広げていきたいと思います。

<西陣の工房にて、職人歴3年の島田さん、2か月の前野さんにお話を伺いました。>

なぜ職人になろうと思ったのですか?

島田さん:
職人として3年目になります。手に職をつけたいと思い、日吉屋にきました。

前野さん:
2ヶ月です。大学の出前講座で西堀社長が来られていて、興味を持ちました。

職人になられて感じられることはありますか?

島田さん:
自分が作ったものが美しい照明になることがとても嬉しいです。納品後、お客様から喜びのお声と実際に設置していただいたお写真をいただいた時はとても嬉しかったです。難しいことにもチャレンジしていき、経験値をあげていきたいです。

前野さん:
竹骨も和紙も材料としてはそれぞれとても繊細なものなのに、組み合わせるためには意外と力をいれなければならない、ということに驚きました。毎日発見の連続です。

新しくリニューアルされた西陣の工房も素敵ですね。

こちらではデザイン照明「古都里(ことり)」の制作工房として、また、清水焼、組子細工、竹細工など様々なジャンルの伝統工芸を展示し、空間デザインとして提案できるようなプロデュースも行っております。
伝統の継承のみならず、和傘の構造・技術を活かしたデザイン照明を海外15カ国で展開し、売り上げを50倍に復活させたノウハウ・ネットワークを同じように海外展開を目指す事業者様に対してもご提供し、広く伝統産業振興のお役に立ちたいとの想いから、社長の西堀が代表を務めるTCI研究所として立ち上がっています。

抱えておられる課題はありますか?

どこの業界もそうかもしれませんが、技術をもった職人が減ってきています。
分業制といいましたが、それぞれのパーツをつくる職人がいなければ和傘の製造ができなくなってしまいます。和傘においても、傘の頭の部分でつなぎ合わせる「ろくろ」と呼ばれる部分をつくる職人も日本に数名しかおりません。
ですから、自社で手掛けることができないか、といった新たな挑戦や研究も行っています。

また、日吉屋のこういった職人の仕事を知ってもらうため、工房見学も行っております。ただ、以前はもっとオープンにしていたのですが、いつでもだれでも…となるとやはり職人の手が止まってしまいます。
ですので、今は心苦しいのですが有料とさせていただいております。
そうすると地域の子どもや地域の方の足が遠のいてしまったことも事実です。京都府外、海外の方といった視察や観光客が中心になってしまいました。とても難しいところではあるのですが、それも課題の一つかもしれません。私たちはいつでもウエルカムです。

最後に、西陣界隈の皆様に一言お願いします。

いつでも是非、ご相談、ご来店いただければ嬉しいです。
「敷居が高い」と思われがちなようなのですが、そんなことはございません。近隣にお土産屋さんなども少ないので、店舗には他の京都の職人さんが手掛ける雑貨も販売しております。
「和傘」という範囲を超えて、伝統工芸、伝統産業に関わる様々なジャンルのコーディネート、提案、制作を行っております。

和傘は、傘自体が主役ではないけれど、茶道における野点、芸舞妓さんの踊りなど文化や芸事、伝統の祭などには欠かせないものとして歴史を支えてきたと思います。
ここ西陣はそういった歴史や文化がたくさんつまった町です。
それぞれが調和し、伝統と革新を続けていければと思います。

(インタビュアー be京都 岡元 麻有)

 

詳細情報

企業名・団体名京和傘 日吉屋
公式サイトhttps://www.wagasa.com/

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